挫折しても、進もうとする力
『フェニックスと呼んでくれ』未来への部屋へようこそ!あなたが扉を叩くのを、待っていました!
僕は昔、陸上競技で挫折した。脚に力が入らなくなったんだ。
痛みがあるわけでもないから、まわりは信じてくれなかった。私ごとで些細なことかもしれないが、絶望と屈辱に屈した。
そして、長い時をかけ、今、それを乗り超えようとしている。
今、乗り超えようと苦悩しているという点では、あなたと同じ目線で語れるかもしれない。
挫折、そこから先は絶望と屈辱しかない。失敗を糧に、一旦落ち着いて他の道を探すべきであろう。
しかし、挫折するからにはそんなに器用なはずはなく、呪いのように背中に寄り添ってくる。振り払う力もなく、別に死んでもいいとさえも思う。
どうせ死ぬのならと、僕はヤケで音楽を始めた。挫折から生まれた詩を、どうしても形にしたかった。
挫折から生まれた詩、それをステージへ上げてしまった時点で僕は一生、過去の挫折と向き合わざるを得なくなった。
挫折と向き合うつもりってわけでもなかった。もう二度と走らないとも思っていた。その辺で野垂れ死ぬだろうと。
しかし、作品は完成させたい。
作品を人前に出す。つまり、挫折から生まれたままというわけにはいかず、巡り合わせというものもあり、もう二度と履かないであろうと思っていたマラソンシューズの紐を締め直し、僕はまた走り始めた。
僕の作った曲を完成させるにはどうしても、アスリートのハートが必要だと思ったからだ。
野垂れ死のうと思った。もう走らないと思った。でも、ヤケでもなんでも、1ミリでも前へ進もうと心のどこかが諦めていなければ、巡り合わせというものがやってくるんだなと思った。
再び走り始めてからも長い時がたった。うまく行かないことばかりだった。将来も全然安定してない。
でも、やっと、なぜ疾走り続けてきたのか、この先にある未来、というものが、ぼんやり覆い被さってきているような気がする。
僕は、疾走りつづける。
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